2023.06.30 fri
古き良き街並みが残る場所 夷川通りの歴史を学んで散策しよう!
古き良き街並みが残る夷川通りの歴史をご存じですか。
家具の通りとして発展し、現在は日本有数の家具屋が並び人気を集めています。
今回は訪れるきっかけになるよう夷川通りの歴史をご紹介いたします。
夷川通りの歴史を学ぶことで、京都の伝統や文化に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
夷川通りとは
夷川通りは京都御所の南側を東西に走る全長約2キロ弱の通りです。
古くから京都に伝わる「京の通り名の歌」の冒頭にも記される、歴史ある通りです。
「京の通り名の歌」
- まるたけえびすに おしおいけ(丸・竹・夷・二・押・御池)
- あねさんろっかく たこにしき(姉・三・六角・蛸・錦)
- しあやぶったか まつまんごじょう(四・綾・仏・高・松・万・五条)
- せきだちゃらちゃら うおのたな(雪駄・魚棚)
- ろくじょうさんてつ とおりすぎ(六条・三哲)
- ひっちょうこえれば はちくじょう(七条・八・九条)
- じゅうじょうとうじで とどめさす(十条)
参照:https://plus.kyoto.travel/entry/marutakeebisu
夷川通りは江戸時代の終わりごろから明治時代にかけて家具屋や建具屋が多く集まり、家具の街と呼ばれるようになりました。
なお、現在も家具屋が集まる通りとして全国的に有名で、各地から家具を買い求めにお客様がやってきます。
夷川通りも伝統ある京都の街並みの一つとして、多くの方から注目を集めているのです。
夷川通りの歴史
勅撰和歌集である「千載和歌集」や「新古今和歌集」の撰者であった藤原俊成、定家を祖に持つ冷泉家が当時このあたりにあったようです。
歴史ある通りだと知ると、より一層ロマンを感じますよね。
ここからは夷川通りの歴史を夷川通りの名前の由来、夷川通りが家具の街となった理由、現在の夷川通りの項目に分けてご紹介します。
夷川通りの名前の由来
江戸時代の文献によると西洞院川の上流に東西に流れる夷川(恵比須川)という短い川が記されており、この川が夷川通りの名前の由来となったと伝えられています。
また、昭和10年に洪水がおこるまでは鴨川に橋がかかっていたため、鴨川の東岸にも夷川通りが存在し、今も住所表示として使われている場所があります。
夷川通りへやってきたら、ぜひその名前の由来と歴史に思いを馳せてみてください。
夷川通りが家具の街となった理由
夷川通りはなぜ家具の街としての発展を遂げたのでしょうか。
確かな記録はなく、自然に家具屋が集まったようですが、歴史的背景として江戸時代末期の「禁門の変」が挙げられます。
1864年の禁門の変により、御所周辺は焼野原になりました。
禁門の変の後、夷川通りには多くの木工職人が集まり、京都の復興を支えたという説があります。
このことが家具の街へと発展していくことへと繋がったようです。
好景気となった大正時代には家具や室内装飾の需要が高まり、夷川通りは発展しました。
夷川通りは明治初期からの伝統のある商店街となり、古き良き街並みを今に残す存在となっています。
現在の夷川通り
夷川通りは第二次世界大戦後も日本経済の発展を受け、家具だけではなく、住宅関連の専門店が集まる通りとして注目を集めるようになりました。
歴史ある夷川通りには現在も一生大切にしたい本物の家具を扱う店があります。
家具は本来必要なときだけ使うものではなく、年月をかけて使い続け、ときに修理したりしながら愛着をもって育てるものでもあります。
夷川通りの歴史を感じながら古い街並みを散策するのももちろんおすすめですが、一生大切にしたくなるような家具との出会いを求めてお店巡りをするのもおすすめです。
古い物を大切に守り続ける京都らしく、アンティーク家具を扱う店もありますので、古い時代へ思いを馳せるのも楽しいでしょう。
また、夷川通りには新しくおしゃれなレストランやカフェもオープンしています。
街並みを楽しみながらの散策の途中にひと休みするのにぴったりです。
現在の夷川通りは、家具はもちろんライフスタイルを提案してくれる通りへとさらに進化しています。
古くて新しい夷川通りを散策してみよう
今回は夷川通りの歴史についてご紹介いたしました。
ぜひ古き良き街並みの風景が残る夷川通りを散策してみてはいかがでしょうか。
また夷川通りを散策される際はぜひ家具の川上 夷川本店にもお立ち寄りください。
ずっと大切にしたくなる家具との出会いをお手伝いいたします。
なお、別の記事では、デスク周りの収納術について解説しています。
デスク周りをすっきりと整えて作業効率をアップさせたいとお考えの方は、こちらの記事も併せて参考にしてみてはいかがでしょうか。